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  • 3・11 (2014.03.11)
      
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3・11

あれから、3年、、。
いまでも、よく覚えています。
仕事がまだまだ忙しい時期で、仮眠休憩から仕事に戻った時に、
「大変なことが起きたぞ、、、」
と言われたことを。

最初はちょっとピンとこなくって、
仕事が終わって夜のニュースでようやく、何が起きたのか理解。

すぐに、山仲間で、その冬のシーズンに仙台から大山にバイトに来ていた
Iさんにメール。
2月いっぱいで仕事が終わり、実家の仙台に帰っていた時に被災。
数日後、無事を伝えるメールがあったけど、
水や食料やガソリンが手に入らずに困っている、、と書いてありました。

そして、福島に嫁ぎ先のニュージーランドから帰国していて被災した、Mちゃん。
原発事故のこともあり、ニュージーランド政府が動き、強制的にニュージーランドに連れ戻されることに、、。
自分の家族を置いて、向こうに帰らないといけない、、
苦渋の決断、、でも幼い子供もいたし、、大変だったと思います。

あれから、3年、、。
被災前の状況にすべて戻るまでには、これから先どれくらいの年月が必要なのだろうか、、、、。

1995年の阪神淡路大震災。
私は、県のボランティアに登録をしていました。
映像を見て、何か自分にできることがないだろうか、、と強く思ったからです。
派遣されたのが3月、、、まだ寒かったなぁ、、。
電車で向かい、途中からとにかく歩いて歩いて、派遣場所までたどり着きました。
ところが、行ったのはいいけれど、現地もまだまだ混乱のさなか。
あっちこっちにたらい回しにされ、何もできないまま、被災者と同じように避難所での生活をすることに、、。
子供の遊び相手になったり、お年寄りの話相手になったり、、自分にできるのはそんなことでした。
それから、自衛隊の設営したお風呂の掃除のボランティアへ、そこで、風呂掃除を数日していました。
避難所には、救援物資が山のように積まれていましたが、
それらは、ほとんど役に立たないようなものでした。
古着、水のいらないシャンプー、おもちゃ、、、、
ガラクタのようなものまで送られてきていました。


私は21歳だったかな、、、
勢いだけで行ったけど
ロクに役にも立たずに、何をしに行ったのか、、、
家に帰ってきてからも、かなり長い間、自己嫌悪に陥っていました。

震災でボランティアの存在意義が注目はされたけど、
やはり、それぞれの横のネットワーク、繋がり、
そのボランティアがどういった技術を持っていて何ができるのか、、、
その辺りも、とても重要でなないでしょうか、、。
もちろん、人海戦術が必要な時も、、。


東北のボランティアには、自力でくることができる、自力で滞在することができる、食料を確保できる、
そういった募集の仕方をしていましたね、、。
阪神淡路大震災の教訓でしょうか、、。

ボランティアを育成する、、というわけではないですが、
子供の頃から、色々なボランティアに参加し、そういった意識を育てることは大切なことだと思います。
もちろん、私たち大人も、。

困ってる人を助ける、、、誰もが自然にそう思える世の中でこれからもあって欲しいなぁ、、。


0121.jpg

綺麗な大山。
穏やかな表情、、、
でも、朝からヘリが遭難者の捜索中。
昨日までは、猛吹雪、、、

海も山も、、
いつもは穏やかなんですが、急に荒れ出す、、。
私たちではどうしようもありません。
自然には逆らえません、、。

















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